カルトからの解放


★カルト化した教会とは?

カルト化した教会の特徴は、その教会に立てられた指導者である牧師の権威が絶対化されて、恐怖心を与えて、外部との交流や情報を制限する事により、社会的にも孤立させ、自分たちの教会や組織だけが唯一正しと教えます。

 

具体的にいくつかの実例をあげます。

 

自分たちの教会だけが正しい事を強調し、他の教会や牧師との交流が無く、他の教会を批判する。

 

その教会のトップである牧師は絶対的な権威を持ち、神の名前を都合良く用いて牧師の命令に絶対服従を求める。トップである牧師を指導したり忠告する人や教団などが無い。

 

救いに対し多くの条件が付く

聖書のみことばを用いて服従や行いばかりを強調する。(聖書の文脈など無視して都合の良い部分のみを用いて間違えた解釈を教える)

 

教会を離れてた人々と会う事を禁じたり、教会を離れた人々や他の教会に移籍した人々に対して(彼らは滅びる、状況が悪くなる、救いが無い、死)など、いかにも聖書に書いてあるかのように間違えた解釈を教える。

 

献金という名の金銭的な要求や問題が多いため、教会に集う人々がお金に対する多くのプレッシャーを抱えている。

 

生活の優先順位の一番が教会であり

礼拝への参加、教会での奉仕、教会でのイベントへの参加は絶対的であり仕事、学校、家庭生活などより優先する事を強調されるため地域社会からも孤立し社会的な規範からも離れてしまう状況になります。

 

 

カルト化した教会の中にいる場合や教会が少しずつカルト化していく段階にある場合、気がつかない中で進んでいる場合もあります。

大切な事は"聖書が何と語っているのか!"なのですが、聖書を教える立場の指導者が間違えた教えや都合の良い解釈を教えるのですから、まさか、牧師が、指導者がと思う心を利用されてしまうのです。

 

特に教会がカルト化している場合、カルトのトップはとても強い権威主義の思考を持っています。

自分の地位を神の位置まで引き上げる絶対主義者であり、目的を実行するために表面的には良い指導者の顔と裏には非情で平気で嘘をつくという二面性の性格を持ち合わせた性格です。そのような性格のカルトのトップに教会の問題などを相談した場合、解決どころか、攻撃され、ののしられ、神の権威をふりかざし、相談した人自身に責任があるように怒鳴ったり責任転換するとう特徴があります。

まさに羊の皮をかぶった狼です。

 

★マインドコントロールとは?

マインド・コントロールとはどのようなものでしょうか?

 

カルト化したキリスト教会の中では

指導者の都合の良い聖書の言葉を引用してマインド・コントロールがなされています。

礼拝メッセージの中では、神の裁き、地獄、罪という言葉ばかりが強調して語られています。

恐怖心と不安で指導者に従うようにと心をコントロールしていくのです。

 

聖書の福音は良い知らせであり、恐怖心や恐れを抱かせるものではありません。"イエス・キリストを信じれば救われます"という神様からの恵みなのです。

しかしカルトの教会の中では表向きには"信じる信仰による救い"という教義を掲げながら人々を伝道し集めますが、教会の中で指導者は"行ないによる救い"のみを強調してコントロールするのです。

★証 カルトからの解放と回復

   ☆恵みによる信仰生活への道☆                  西谷由美子

            

私は27歳の時に初めて教会に行きました。一軒家の普通の住居の2階を礼拝堂にした小さな教会でした。

当時、子供の病による重荷がありました。

教会でイエスキリストの聖書メッセージを聞いて、涙があふれ、神さまの元に全ての重荷を下ろしました。神さまの愛と子供の病のいやしを体験しました。

すぐに洗礼を受け、2ヶ月後に夫も洗礼を受けました。

その当時は神さまの恵みと喜びで聖書をもっと学びたいという願いからその教会が行ってる神学校に入学しました。

神さまを伝えたいと熱い想いがいっぱいで、イエスキリストを信じた喜びを私と同じような問題を抱えてる友人たちに伝えました。

友人から友人と福音が広がって行き一年後にその教会の礼拝堂は人であふれる状況になりました。

その教会のトップの牧師は大きな教会堂を建てるビジョンを掲げていました。

やがて大きな倉庫を借り、その倉庫を改装して300人ぐらいが礼拝できる教会堂を作りました。

救われる人々が増えると教会のトップの牧師は神格化され、メッセージも行いが強調され、週に10回以上の礼拝や学びの参加は当然、そして更に次は教会を建てる大きな土地や建物まで購入して教会を建てました。それだけでは終わらず、更に大きな教会の建物を建てると語り出しました。

聖書メッセージはマインドコントロールに使われて行きました。当時はそれがマインドコントロールとは気がつかなかったのです。

礼拝と仕事と家との往復に忙しく、ほとんど自分の時間さえ無い日常でした。

従順を求められ、自分で判断し選ぶ選択さえトップの指導者により与えられる狭い範囲内からのみ選択するようにとコントロールされていました。これは自分で選択してるように思わせるマインドコントロール法です。

教会は更に大きなビジョンを掲げて

"全てを捨てて従ってきなさい"と語り教会の方々からさらに多くの献金を集めていました。ある人は家を売り、ローンを重ね、教会の人々は貧しい生活です。

そして時間もお金も無くなり、礼拝に参加する親と共に来る子供が夜遅くまで教会に居る状況でした。

私が喜びの救いの体験した教会の姿から数年で教会の姿は全く違うものに変わって行きました。日本の他の教会とつながる事も無く韓国の教会とだけ交流のある日本では孤立した教団でした。 

教団のトップの牧師に私たち夫婦が教会の姿が良くないため改善するように相談に行くと、その以降の礼拝でトップの牧師は私たち夫婦をあからさまに攻撃するメッセージを語り続けました。

主人と私はそんな状況を見て他の教団の牧師先生に相談したところ、あなたの教会はカルトですよと言われました。それからカルトについてたくさん調べました。

教会が完全にカルト化してる現実とマインドコントロールされていた事を理解しました。

教会のカルト化は数年の年月をかけてだんだん酷く進んできた事、トップの牧師は表の顔と裏の顔を使い分けていた事も明らかになりました。

教会のトップである牧師への信頼が崩れ、トップの指導者の裏の顔、陰で行っていた悪行が全て明らかになりはじめました。

カルト化した教会組織では、内側から教会を正しくして行く事は大変難しいと思いました。私たちの教会はこの教団を脱会する決心をしました。

このカルト化した教団に属するいくつかの教会の牧師先生方にも話して共に教団を離れました。

カルトに詳しい村上密牧師先生やジャンドーゲン牧師先生との出会いを通してカウンセリングを受け、真実を学び直しました。 

多くの牧師先生方、神学校の学院長先生を始め多くの人々の支えと祈りがありました。

自分自身が回復し癒しを受けるのに何年もかかりました。  

カルトの中にいた期間が長ければ長いほど心にとても大きな傷を受けているのです。

私自身、自分の心が回復するのに5年〜10年ぐらいの年月を費やしたと思います。 

主人は新しい出発のために関西聖書学院に入学しました。

カウンセリングでは、カルト教会で教えられた誤まった解釈を一つ一つ真実の解釈へと訂正して行きました。

真実な解釈を知れば知るほど今までの学びに費やした時間はなんだったんだろう?と虚しさと共に間違えた教えを学ぶのに多くの時間を失った事がとても悔しくて、腹立たしい気持ちでいっぱいでした。

そして、自分がなぜ最初から正しい教会に導かれないで、こんなカルトの教会に所属してしまったのだろうか?!多くの友人や人々をカルトの教会に導びいてしまった事も私の心を痛めました。神様に不平不満をたくさんつぶやいてしまいました。

私たちの回復のためにジャンドーゲン牧師先生が定期的に教会でメッセージをしてくださりいつも温かく支援をしてくださいました。 

学びや心のいやしには多くの時間が必要でした。

今振り返ると、私たちは、大きなまわり道をしましたが、それらの体験は、神様が与えられた試練であって、それにより神様をもっと求め、近づくように導かれた事であると今は心から感謝する事がで

きるようになりました。


"あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。"

コリント人への手紙 第一 10章13節


現在は、神様の恵みの中で平安な心で信仰生活をしております。

今は、自分の体験を生かして、カルトで苦しみ、マインドコントロールで苦しむ人々の回復の助けになる働きのため祈っています。

 

     

 

 

 

 

 

☆試練を通して与えられた神のめぐみ☆      足立美奈子   

            

今から25年前に会社の同僚から教会に誘われ、洗礼を受け信仰を持ちました。当時所属していた教会は、教会活動の中心が生活の全部であり、毎日奉仕の日々でした。

牧師の方針に聞き従う者に変わって行きました。本来なら聖書の言葉に基づき、聖書を土台として神さまの愛と恵みに生きる信仰生活であるはずが、

"頑張らないといけない"

"しなければいけない"

というふうに変わっていきました。

毎日教会は伝道が第一でしたので、物事を正しく見たり考えたりする力がだんだん失われて行きました。

いつの間にか聖書の教えが恐れに変わって行きました。

私たちの教会は本部の教会とは別の支部の教会でした。 

本部の教会はカルト化していたので、

本部から離れてもうひとたび神さまの恵みとは一体何かという事をカルト問題専門の牧師先生方により学び直し勉強しました。

学びを通して教会中心から家庭の中でも職場や社会生活のなかにおいても、本来の信仰生活のあるべき姿を理解して行きました。

過去にカルト教会に属していたという事で、現在はカルト教会から離れたにもかかわらずいろいろと言われるのが嫌だった時もありました。

以前のカルト教会では全てに頑張っていました。頑張る事は決して悪い事ではありませんが、イエスさまの信仰や救いは頑張って得るものではありません。

"あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。"

エペソ人への手紙 2章8節

 

カルト教会に属してる時は頑張り続ける自分がいましたが、今は神さまの愛と恵の中で生きる自分になりました。

神からの賜物とは神さまからのギフトです。信仰さえも神さまからのプレゼントです。

現在は神さまからのたくさんのギフトをいただき、教会で神さまを賛美する奉仕をしています。神さまの愛と喜びと平安に満たされています。

 

"私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。

向きを変えて、出発せよ。"

申命記 1章6~7節 

 

"まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。"

申命記 4章7節

 

私たちの教会は多くの先生方の助けを受けて、カウンセリングをしていただき、新たな教会に生まれ変わり出発しました。

現在は素晴らしい神さまの愛に触れ、礼拝を捧げています。